《第九》のコンサートで皆さんが楽しみにしているのは、歓喜の歌。最終楽章でバリトン独唱が始まるのを、今か今かと待っているという方がほとんどと思います。
もちろん、声楽が加わってからが曲全体のクライマックスですし、非常に複雑な構成と深い内容が盛り込まれています。でも実は《第九》において音楽的に最も重要なのは、第4楽章冒頭の歌が入るまでの部分です。ここで、全楽章が統合されているからです。
「恐怖のファンファーレ」と「否定のレチタティーヴォ」
第4楽章は、管楽器とティンパニによるフォルティッシモの不協和な音楽で始まります。何だかガーッと怒られているみたいな怖い感じのこの部分は、「恐怖のファンファーレ」と呼ばれます。
これが7小節でピタッと止むと、チェロとコントラバスだけがユニゾンで旋律を弾きます。ここには、「レチタティーヴォ風に、ただしイン・テンポで」という注意書きがあります。レチタティーヴォとは、オペラなどに使われる語るような歌い方ですが、ここでは例外的に器楽に使われています[注1]。
このレチタティーヴォ風な旋律は、実はその後のバリトン独唱の先取り(ここには「レチタティーヴォ」と書かれていますね)。「おお、友よ、これらの調べではなく!」という歌詞を歌っています。
ですから、チェロとコントラバスのユニゾンも、その前の部分を否定する意味をもつ「否定のレチタティーヴォ」と呼ばれます。この「恐怖のファンファーレ」と「否定のレチタティーヴォ」は、もう1回ずつ繰り返されます(譜例1参照)。
譜例1 |
さらに否定されるものは?
この後のAllegro ma non troppoピアニッシモの音楽は何? 管楽器がラとミの音をぽー、弦楽器が同じくラとミをしゅくしゅくと刻み、同じくラとミの音がちゃらん、ちゃらん。
そうです。《第九》第1楽章冒頭部分ですね(ちなみにここでは、一番下のコントラバスがド♯を伸ばしているので、空虚5度ではなくなっています)。でも、8小節だけでじゃん!と断ち切られ、「否定のレチタティーヴォ③」が続きます(譜例2参照)。
譜例2 |
同様に、オクターヴ跳躍と付点リズムの第2楽章冒頭部と、Adagio cantabileの第3楽章冒頭部が演奏され、「否定のレチタティーヴォ」が続きます。つまり、この部分が意味するのは:
「恐怖のファンファーレ」でも、第1楽章の音楽でも、第2楽章の音楽でも、第3楽章の音楽でも、無い!
ということ[注2]。
すべてが否定された後の新旋律
どれでもない!と否定された後、木管が新しい旋律が示します。チェロとコントラバスは(今度は否定しないで)それを受け継いでいきます。この旋律が、後でバリトンが歌う「さらにこころよく、さらに喜びに満ちた調べを、ともに歌おう」の「喜びに満ちた調べ」すなわち歓喜主題です。
初めにチェロとコントラバスだけによる無伴奏のユニゾンで、次に対旋律が加わったポリフォニーで(譜例3参照)、最後にトゥッティによるホモフォニーで高らかに繰り返されます(西洋音楽史の流れをたどっていますね)。
譜例3 |
歓喜主題を劇的に提示するために
ちなみに、バリトンが歌う「おお、友よ、これらの調べではなく! さらにこころよく、さらに喜びに満ちた調べを、ともに歌おう」という部分は、シラーが書いたのではありません。ベートーヴェンが書き加えた部分です。
でもこの歌詞のおかげで、声楽が加わる前の部分においてもベートーヴェンの意図が私たちにはっきり伝わります。まるで標題音楽のように、歓喜の歌が完成するまでの物語を音楽で表現しています。同時に、前の楽章の音楽を引用する「循環形式」を使って全楽章を統合しているのです。
歓喜主題の魅力
それにしても、歓喜主題って本当に魅力的! とてもシンプルに作られています。4/4拍子。4小節x4フレーズ。4分音符中心で、ほとんどが順次進行。音域が狭く、レからラまでの5度にほぼ収まります。
「恐怖のファンファーレ」や「否定のレチタティーヴォ」が繰り返された後での、この民謡のような親しみやすい旋律の登場は、聴いている者弾いている者にとってまさに「歓喜」です。でも《第九》はさらに複雑な深い部分へと続いていきます。
注
- 《第九》のレチタティーヴォに関しては、長岡英『オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識』アルテスパブリッシング、2014の「話すように歌うレチタティーヴォ」pp. 204-206を参照。
- 「これらの調べではなく nicht diese Töne!」の意味については諸説あります。土田英三郎『ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125、ミニチュア・スコア解説』音楽之友社、2000、p. xiii。このコラムの歌詞の日本語訳は、同書p.xviを使用。
- Portrait by Joseph Karl Stieler, 1820. https://youtu.be/rJH9b9EQtHM Orchestre Révolutionnaire et Romantique, John Eliot Gardiner, 2020.
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