ベートーヴェンの《第九》のオープニングって、考えてみるととても不思議。交響曲の第1楽章は、じゃん! じゃん! とか、じゃじゃじゃじゃーん! とか、堂々と始まるものが多いですよね。もちろん静かに始まる曲もありますが、ぽーん と和音が鳴ったり、何らかの旋律が聞こえてくることがほとんどです。
《第九》第1楽章冒頭
でも《第九》の第1楽章って、どれも当てはまりません。
セカンド・ヴァイオリンとチェロが しゅくしゅくしゅくしゅく と小さな音で刻んでいて、ホルンが ぽーっ と鳴っている。その中を、ファースト・ヴァイオリンとヴィオラとコントラバスが ちゃらーん、ちゃらーん、ちゃらーん と降りていきます。
いったい何が起こっているのでしょう??
ラとミ
しかも、使われている音はふたつだけ。しゅくしゅく も ぽー も ちゃらーん も、全部ラかミ。ラとミだけで14小節間も続くのです。
ラとミの音程は5度。真ん中の3度の音はありません。これを空虚5度と言います。3度の音がドならば短3和音、ド♯なら長3和音になりますが、真ん中が抜けていると性格が定まりません。
長調なのか短調なのかわからないままラとミだけでクレッシェンドし、なぜか最後にレが加わって、17小節目でようやく第1主題が登場(譜例1の↓印)。今までの得体の知れない16小節間を取り戻すかように、決然と奏されます。
譜例1 |
第1主題は主和音の下降分散和音
ただこの主題、トゥッティでユニゾン、そしてフォルティッシモですが、レファラの和音の構成音で降りて来るだけですね。
付点(複付点)リズムで分散和音が下降する第1主題が現れて初めて、今までの ちゃらーん、ちゃらーん が主題の断片であったことや、16小節間で主題が形成されていたことが明らかになります。
主題がニ短調なので、ずっと続いていたラとミは属和音ラドミの音であったことも判明。音楽は主和音で始まるのが普通なのに、《第九》はドミナントで始まり(しかも中抜き)、16小節間も続くのです。
それでも第1主題でニ短調がしっかり確立されて、これで一安心、と思いきや。
異なる調での「確保」
またトレモロの しゅくしゅく とホルンの ぽー が始まり、ちゃらーん、ちゃらーん と第1主題の形成から主題提示までが繰り返されます。これを主題の「確保」と言います。重要な部分をしっかり覚えてもらわないといけないので、繰り返すのです。
でも、今度の空虚5度はレとラ。「確保」なのに、異なる調で繰り返されます。しかも、2回めの第1主題は、なんと変ロ長調(51小節、譜例2の↓印)。
譜例2 |
これ、サプライズです。1回目と同じパターンなら、レとラがドミナントになって「ソレー、シソー」とト短調(かト長調)で第1主題が確保されるはずなのに、3度上にずれました。変ロ長調は、主調ニ短調から見ると6度調。遠隔調です。何から何まで普通じゃない。
交響曲の第1楽章としては、前代未聞のオープニング。まさに波乱の幕開けです。
先日《第九》の講義をしたら、最初の部分を「チューニングかと思っていた」とコメントした学生がいました。確かにそんな感じもしますね。
注
- Portrait by Joseph Karl Stieler, 1820. https://youtu.be/rJH9b9EQtHM Orchestre Révolutionnaire et Romantique, John Eliot Gardiner, 2020.
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