リストの生涯シリーズを一時中断(まだ肝心の《ハンガリー狂詩曲》が出てこないのに、ごめんなさい)して、しばらくベートーヴェンの交響曲第9番に関するコラムを書きます。聖光学院(横浜)の学校関係者による《第九》演奏会が、来月に迫っているからです。
聖フィルと《第九》
私たち聖フィルにとって、《第九》は生みの親とも言えます。2007年12月に聖光学院創立50周年記念演奏会として、生徒・教員・保護者・その他学校関係者によって《第九》全楽章が演奏されました。
その感動を忘れられない保護者やOBなどが集まって、聖光学院管弦楽団(通称聖フィル)が結成されたのです(ホームページ参照のこと)。私はたまたま結成直後に息子が入学したので、2009年9月の聖フィル第1回定期演奏会から参加しています(皆勤賞です)。
2012年12月には新講堂ラ・ムネ・ホールが完成し、杮落としとして《第九》を演奏しました。弦楽オーケストラ部、吹奏楽部有志と聖フィルがオーケストラを、在校生と教職員、グリークラブとドルチェ・コーラス(聖光学院のママさんコーラス)が合唱を担当。ソリストもほとんどが学校関係者でした。
その後も5年毎に同じ形態で《第九》の演奏会が行われ、今年の12月にも予定されています。希望する在校生が1度は合唱に参加できるように、というのが、5年に1度の理由のようです。
諸事情により、今回のオケはほとんどが生徒さんたち。演奏には参加できませんが、コラムでベートーヴェンのメッセージを解説します。皆さんのなかにも、年末に《第九》を楽しむ方は多いはず。参考にしていただけたらと思います。
《第九》のすごさ
ベートーヴェンの《第九》は、本当にとんでもない曲です。後世への影響が最も大きかった交響曲と言えるでしょう。まずはその長さ。1時間を優に超えます。
そして、様々な革新性。これまでにも:
- 楽章連結(たとえば第6番の第3、第4、第5楽章)
- 前の楽章の音楽を回想(たとえば第5番の第4楽章に唐突に現れる第3楽章)
- 2管編成では使わない楽器を加える(たとえば第5番や第6番におけるピッコロ、コントラファゴット、トロンボーン)
- 標題を付ける(第6番)
などなど、他の作曲家はもちろんベートーヴェン自身もやったことがない新しい試みを次々と取り入れてきました。
声楽入りの交響曲
《第九》にも、革新的なポイントはたくさんあります(上記3のオーケストレーション拡大は、《第九》にも当てはまりますね)。しかし、なんと言っても最大の掟破りは、歌を入れてしまったこと。
交響曲は器楽のジャンル。声楽を混ぜるなんて反則です。《第九》が史上初というわけではないのですが、さすがのベートーヴェンも交響曲に声楽を入れることはかなり迷ったようです[注1]。
歌詞に使われたフリードリヒ・シラー(1759〜1805)の「歓喜に寄す」は、1786年に発表されました。多くの作曲家によって曲が付けられた人気作で、その数は《第九》までの38年間で42曲も![注2]
ベートーヴェン自身がこの詩に初めて曲を付けたのは1792年末ですが、《第九》のフィナーレに使うという構想は1822年になってから。初稿ではなく改訂稿を使っています。というわけで、「歓喜に寄す」へのベートーヴェンの関心が、そのまま《第九》につながったわけではありません。
作曲の直接のきっかけは、1817年6月にロンドンのフィルハーモニック協会から交響曲を移植されたことですが、本格的な作曲は1822年から1824年2月。1824年5月にウィーンのケルントナートーア劇場で行われました。
次回は第1楽章について。《第九》のオープニングって、何かに似ていると思いませんか?
注
- 土田英三郎『ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125、ミニチュア・スコア解説』音楽之友社、2000、p. iv。声楽付き交響曲の前例としてピーター・フォン・ヴィンターの名前が出ていたので調べたら、 Schlacht-Sinfonie, with chorus, 1814 (Leipzig)と出てきましたが、動画は見つけられませんでした。Amalie, Anna / Paul Corneilson. "Winter, Peter," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 27: 441.
- 土田 前掲書、p. iii。
- Portrait by Joseph Karl Stieler, 1820.
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