以前、094 ボッケリーニとメヌエットで、上と同じ画像を使いました。ボッケリーニさんのチェロに、エンドピンがありません。ピリオド楽器のヴィオラ・ダ・ガンバのように、ふくらはぎに載せて(ウィキペディア日本語版「チェロ」の説明では「脚にはさんで」)弾いています。
1743年生まれのボッケリーニは、ハイドンとモーツァルトのちょうど真ん中くらいの世代。この時代、エンドピンが使われていなかったことがわかります。
図像資料の中のエンドピン
しかし、図像資料の中に、チェロがいろいろなものに支えられている様子が描かれているため、事典には「スパイク、スツール、プラットフォーム、箱、樽、演奏者の⾜、またはこれらの組み合わせ」によって⽀えられたと書かれています[注1]。
一番最初のスパイク(大くぎ)が、現在のエンドピンに近いようですね。スパイクと演奏者の足以外以外の「スツール、プラットフォーム、箱、樽」は、その上にチェロを載せて弾いたということでしょう。
1620年に出版されたプレトリウスの『音楽大全 Syntagma musicum』の図像には、一番下のメジャーの上に、確かに現在のエンドピンより太く短いとがったものが付いた大型の弦楽器が描かれています[注2]。ちなみにこの楽器(「Bas-Geig de bracio」と書かれています)、5弦ですね。
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図1 Praetorius: Syntagma musicum II より |
実は、チェロの標準的な演奏姿勢は、定まっていなかったそうです。エンドピンやそれに似た道具を使う場合と、使わない場合があり、立奏と座奏の両方の図像資料が残っているからです。
一方、チェロの教則本の中では、楽器を脚で挟み、主に左ふくらはぎで支えるという姿勢しか示されていません。・
1782年にヨハン・ザミュエル・ペトリは、エンドピンの使用はリピエニスト(伴奏グループに属する奏者)、特に⽴奏を好む奏者の間で最も一般的であったと報告しているそうです[注3]。教則本は主にソリスト向けに書かれたため、エンドピンを無視していたのかもしれません。
エンドピンの推奨
エンドピンの使用が印刷物の中で推奨されたのは、1882年。ずいぶん遅いですね。ジュール・デ・スワート(1843〜1891)がロンドンで出版した『The Violoncello』においてでした。彼は、有名なチェロ奏者で教師でもあったアドリアン=フランソワ・セルヴェの弟子。セルヴェがエンドピンを使ってチェロを支えるようになり、それを推奨したのです。当時としては画期的なことでした[注4]。
元々は長さが固定されていて、短かったエンドピン。でも、1890年代後半に長さが調節できるエンドピンが導入され、大幅に長くなりました。
ブラームスの時代は?
19世紀後半の著名なチェロ奏者の多くは、エンドピンを使用しませんでした。
ドイツ人チェリスト、ロベルト・ハウスマン(1852‒1909)もその一人。彼はブラームスの友人で、チェロ・ソナタ第2番を献呈され、初演しました。ヨーゼフ・ヨアヒム弦楽四重奏団(図2)でチェロを弾いていて、二重協奏曲の初演の際、ヨアヒムとともに独奏を担当しています。
エンドピンを使うのが当たり前の現代から考えると、エンドピン無しでブラームスのソロを弾くなんて、なんだか不思議ですね。
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図2 ヨアヒム弦楽四重奏団 |
注
- ここを含め今回のコラムは、以下を参考にしました。Russel, Tilden A. "Endpin," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 8: 198-199.
- M. Praetorius: Syntagma musicum II, Plate XXI, 1620。「viola da braccio」の直訳は「腕のヴィオラ=擦弦楽器」、つまりヴァイオリン属のこと。「Bas-Geig de bracio」は「低音のヴァイオリン属の楽器」ということになります。
- 『実用音楽への手引き Anleitung zur praktischen Musik』2/1782, 415–16.
- そのため、セルヴェは誤ってエンドピンの発明者とされることがあります。ここに書いたように、図像資料の中には古くからエンドピンが登場しています。
- Pompio Batoni: Luigi Boccherini Playing the Violoncello (c. 1764~c. 1767). National Gallery of Victoria, Australia. Unknown author, Joachim Quartett. Picture from Polish journal Echo muzyczne, teatralne i artystyczne, 1894, No.547 (12).
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