今回の聖フィル定演のメインは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。この曲の聴きどころを考えてみました。まず、作曲の背景を。
交響曲第1番まで
1906年、サンクトペテルブルクに生まれたドミトリイ・ショスタコーヴィチ。ロシア革命後の1919年、13歳でペテルブルク(当時はペトログラード)音楽院に入学し、グラズノフに師事(116 ショスタコーヴィチとグラズノフ参照)。23年にピアノ科を卒業。作曲科の卒業作品として交響曲第1番を作り、1925年5月6日に2台ピアノ用編曲を演奏して卒業。
プラウダ批判
1934年、オペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》が大成功。1936年1月26日に、最高権力者スターリンがその大評判のオペラを見に来ましたが、途中で帰ってしまいます。2日後の28日、プラウダに「音楽ではなく荒唐無稽」と題された社説が掲載されました。
オペラが始まった瞬間から、聴衆は故意に作られた耳障りで荒唐無稽な音の流れに面食らう。断片的に旋律や未発達の楽想が聞こえても、それらは騒音、摩擦音、金属音の海の中でおぼれ、傍若無人にあがき、そして、再び消えてゆく。[中略] ショスタコーヴィチの作品はこの上なく下品な、自然主義的な舞台を生み出した[注1]。
2月6日にはプラウダ紙上で、彼のバレエ《明るい小川》が「バレエの偽善」と批判されました。
不倫、殺人、権力の腐敗などが描かれた《マクベス夫人》は、スターリンが推し進めていた社会主義レアリズムとはかけ離れた作品でした。ただ、「粛清」するには、ショスタコーヴィチの名は世界に知られすぎていました。そのため、プラウダの社説を用いて失脚させたのです。
いずれも匿名でしたが、スターリンによる批判と判断され、ショスタコーヴィチの作品は上演されなくなりました。
同年12月に初演が予定されていた交響曲第4番は、彼の交響曲の中で最も編成が大きく(特に打楽器)、第1楽章にはプレストのフガート(楽譜を追うことも困難なほど)が含まれるなど、西欧風・前衛的でした。彼は、最終的に初演を断念[注2]。
交響曲第5番
第4番の初演放棄からわずか4ヶ月後に着手。3ヶ月と少しで完成させました。1937年11月21日、ムラヴィンスキー指揮によるレニングラード・フィルの初演は大成功を収めました。
大成功の理由
理由は、音楽の「わかりやすさ」に尽きると想います。
- 古典的な構成:全4楽章。スケルツォが第2楽章、緩徐楽章が第3楽章の《第九》型
- 「苦悩を超えた歓喜」「暗黒から光明へ」の図式:第1楽章はニ短調だが、終楽章がニ長調で終わる《運命》型(同じ第5番)。ただ、より正確に言うと終楽章の途中で短調から長調になる《ブラ1》型
- 編成:各種打楽器、ピアノ、チェレスタ、ハープなど規模は大きいものの、オーソドックスな3管編成のオーケストラ。声楽は含まれない。
- 標題無し:日本で添えられることがある副題《革命》は、《運命》と同様、欧米では一般的ではない。
- 当たり前のテンポ:演奏不可能なほどの速いテンポや、間延びするような遅いテンポは用いない。
- 実にシンプル:第1楽章冒頭の高音と低音のカノン、ダクテュロス(タンタタ)のリズムの繰り返し、エンディングの執拗な同音反復など、驚くほどシンプルに作られている。
聴きどころ
というわけで、聴きどころは「ちょうど良い20世紀らしさ」ではないでしょうか。
覚えやすく印象的な旋律が使われる一方で、ところどころ拍子が1小節だけ変化し、音楽の流れが阻害されます。幅広い音域が使われる(ヴィオラの高音域も!)、予想外の転調など、20世紀らしい要素も満載。
恐ろしい大粛清の時代、「反省しています! 社会主義レアリズムの教えに従います!」という姿勢を前面に出しつつ(実際、この曲は社会主義レアリズムのもっとも高尚な理想を示す好例とされました)、20世紀の作曲家として「現代音楽」の要素を無理無く(怒られないギリギリまで)混ぜ込んだ、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。その驚くべき匙加減をどうぞお楽しみください。
注
- ファーイ、ローレル E.『ショスタコーヴィチ:ある生涯』藤岡啓介・佐々木千恵訳(東京:アルファベータ、2002)、119-120。この社説は伝統的に「音楽ではなく荒唐無稽」と訳されて来ましたが、この本では「音楽ならぬ混乱楽」と訳し、訳者あとがき(p. 370)で説明されています。
- 1953年にスターリンが亡くなった後、1961年にようやく初演されました。
- Russian composer Šostaković in 1925.

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