聖フィル第30回記念演奏会まで2ヶ月を切り、チケットの一般発売が始まりました。聴きどころのコラム第1弾!
サン=サーンスの交響曲第3番には、なぜオルガン・パートがあるのか?
改めて考えてみました。
オルガンを入れた理由その1
サン=サーンス自身が優れたオルガニストだったからパリ音楽院でピアノとともにオルガンを学び、1851年にはオルガニストとして1等賞を得ています。卒業後はサン・メリ教会、1868年からはフランス第二帝政の公的教会マドレーヌ教会のオルガニストを長年つとめています。
073 サン=サーンスは神童だったで書いたようにピアニストとして活躍するだけでなく、オルガン・ヴィルトゥオーゾとしても認められていたのです。
オルガンを入れた理由その2
初演を行うホールにオルガンがあることを知っていたから交響曲の作曲を委嘱した、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー協会(ベートーヴェンの《第九》やメンデルスゾーンのいわゆる《イタリア》も、この協会の委嘱でしたね)は、セント・ジェームス・ホールを本拠地にしていました。
19世紀後半、イギリスではフランスに先がけて世俗のホールに大オルガンが次々に設置され、セント・ジェームス・ホールにも1858年作のグレイ・アンド・ディヴィソン社製の非常に大きいオルガンがありました[注1]。
実はサン=サーンスはそのホールのそのオルガンで、1879年にバッハを演奏[注2]。オルガンがあることだけでなくその響きも知っていたら、オルガン入りの交響曲をイメージしやすくなりますね。
オルガンを入れた理由その3
オルガンを入れた交響曲が無かったから
オルガンが入る管弦楽曲は、数は多くないもののいくつかあります。たとえば、メンデルスゾーンの交響曲第2番《讃歌》。
グーテンベルクの活版印刷術発明400年の祝典のために作られた、独唱と合唱を伴う「交響曲」ですが、実際は2部10楽章から成る、聖書の言葉に基づく「交響カンタータ」!! 声楽部分にオルガンが入っていても、不思議ではありません。
また、リストの交響詩《フン族の戦い》にもオルガン・パートが含まれ、後半にはソロも出てきます。でもこれは交響詩。交響曲ではないし、オルガンの存在感はサン=サーンスとは比べ物になりません。
サン=サーンスが作曲を始めた1885年冬の段階で、鍵盤楽器を取り入れた交響曲は作られていませんでした[注3]。
彼は革新的な交響曲をつくろうとして、オルガンをオーケストラに取り入れるという可能性に気付いたのでしょう 。さらに、ピアノも取り入れています。1人で弾く部分の他に、2人で4手連弾する部分もあり、ピアノもかなり目立ちます。
せっかくオルガンとピアノを使うからには効果的に、存在感があるようにしようと考えたのでしょう。グッド・アイディア!!
ただ、セント・ジェームス・ホールのグレイ・アンド・デイヴィソン社のオルガンは、サン・サーンス自身が指揮をした1886年5月19日の交響曲第3番の初演に先立つ1882年に撤去され、代わりにブライスソン・ブラーズ・アンド・エリス社のオルガンが設置されていました。
そのため、第2楽章後半マエストーソ冒頭でサン=サーンスが狙ったオルガンの効果は、残念ながら半減してしまっただろうと考えられています。
注
- サン=サーンスがオルガン・パートをいれることを思いついたのは、ここにオルガンがあることを知っていたからではないかと考えられているそうです。井上さつき『サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78ミニチュア・スコア解説』(2001、音楽之友社)、p. iv。
- 1879年7月2日のロイヤル・フィルハーモニー協会の演奏会に、サン=サーンスはピアノ協奏曲第2番以外に、バッハのイ短調の前奏曲とフーガのオルガン・ソリストとして出演しています。
- ピアノを含むヴァンサン・ダンディの《フランスの山人の歌による交響曲》は、ピアノとオーケストラのための幻想曲として1886年に作曲されました。
- Portrait of Camille Saint-Saëns, Benjamin Constant, 1898.
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