次回の聖フィル第30回記念演奏会では、サン=サーンスの交響曲第3番《オルガン付き》を取り上げます。サン=サーンスがどのような生涯を送ったか、皆さんご存知ですか。恒例のクイズにしてみました。
1. 生まれた年がサン=サーンスに近い作曲家は?
- チャイコフスキー
- ショパン
- ブラームス
正解は、ブラームス。サン=サーンスは1835年生まれ。意外と遅いですね。
ショパンはシューマンと同じ1811年、ブラームスが1835年、チャイコフスキーは1840年生まれ。サン=サーンスはブラームスの2歳下で、このふたり同世代です。これもなんだかちょっと意外ですね。
2. 亡くなった年がサン=サーンスに近い作曲家は?
- マーラー
- プッチーニ
- ドビュッシー
正解は、ドビュッシーとプッチーニ。サン=サーンスが亡くなったのは1921年。86歳でした。長生きですね!
マーラーの没年は1911年、ドビュッシーが1918年、プッチーニが1924年(関係ないけれど、今年没後100年!)。サン=サンースはドビュッシーより3年遅く、プッチーニより3年早く亡くなっています。ちなみにドビュッシーが生まれたのは1862年です。
3. 10歳で演奏会デビューしたときに弾いた曲は?
サン=サーンスは神童でした。3歳で母の叔母からピアノのレッスンを受け始め、13歳でパリ音楽院に入学しています[注1]。
10歳のとき、サル・プレイエルで初めての公開コンサートを開きます。プログラムには、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調 op.37(聖フィルが以前、川口成彦さんに共演していただいた曲!)と、モーツァルトのピアノ協奏曲第15番変ロ長調 KV450 が含まれていました。
モーツァルトのコンチェルトでは、自作のカデンツァを弾いたそうです。10歳でカデンツァを作曲したんですね。すべて暗譜で演奏したのも、当時としては異例のことでした。
サン=サーンスはフランス古典、宗教、ラテン語、ギリシア語など一般教養の習得も早く、数学や自然科学(天文学、考古学、哲学など)にも造詣が深かったそうです。
1858年に《ハルモニウムとピアノのための6つのデュオ》の出版権をジロッドに500フランで売り、その資金で望遠鏡を購入しました。
4. サン=サーンスが評価・普及につとめた作曲家は?
- リスト
- シューマン
- ヴァーグナー
正解は、3人全員!
音楽院ではオルガンや、作曲、管弦楽法を学びました。1853年の卒業後パリのサン=メリ教会、1858年からはマドレーヌ寺院のオルガニストを務めます。作曲家、ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして活躍しながら、この時期サン=サーンスは他の作曲家の音楽の普及にも積極的でした。
《タンホイザー》と《ローエングリン》が古い世代から攻撃されていたリヒャルト・ヴァーグナーを、いち早く評価。
保守的な意見に反対されながらも、同時代人であるロベルト・シューマンの作品も演奏し続けます。
また、フランツ・リストの作品を演奏するコンサートを、自費で企画・指揮しました(以下続く)。
- 今回のコラムは以下の資料を参照しました。Ratner, Sabina Teller (with James Harding). "Saint-Saëns, Camille" in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 22: 124-135, 124.
- Portrait of Camille Saint-Saëns, Benjamin Constant, 1898.
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