1792年6月末にロンドンを発ち、ボン(このとき、ベートーヴェンに会っています)、フランクフルトを経由してウィーンに帰り着いたハイドン。
翌1793年にまたロンドンに戻るつもりだったようですが、冬の初めには断念しました。ずっと痛みがあった鼻のポリープを手術してもらう決断をしたことや、ナポレオン戦争の危険な時期に旅行することを恐れたなどの理由が考えられます[注1]。
2度目のロンドンに向けて出発したのは、1794年1月19日でした。今回は、エステルハージ家の写譜家だったヨハン・エルスナーが秘書として同行。彼はもちろん、写譜家としても活動することになります。
1794年のザロモン・コンサート
ハイドンを迎えて2月10日に始まった1794年のザロモン演奏会シリーズ。第1次と同様、ハノーヴァー・スクエア・ルームズで12回行われました[注2]。各回に含まれたハイドンの作品は以下のとおりです[注3]。
- 2月10日 交響曲第99番(初演)
- 2月17日 交響曲第99番(再演)、弦楽四重奏曲1曲(初演、op.71か op.74のうちの1曲)
- 2月24日 交響曲1曲(再演、第1次ザロモン演奏会で演奏された曲のうちの1曲)、協奏交響曲(再演)
- 3月3日 交響曲第101番《時計》(初演)
- 3月10日 交響曲第101番(再演)、弦楽四重奏曲1曲(再演、第2回演奏会の曲)
- 3月17日 交響曲1曲(再演、第93番から98番までのうちの1曲)
- 3月24日 交響曲1曲(再演、第1次ザロモン演奏会のときの曲)、弦楽四重奏曲1曲(初演、op.71か op.7のうちの1曲)
- 3月31日 交響曲第100番《軍隊》(初演)、弦楽四重奏曲1曲(再演、第7回演奏会の曲)
- 4月7日 交響曲第100番(再演)
- 4月28日 交響曲2曲(どの曲か不明)
- 5月5日 交響曲2曲(再演、このうち1曲は多分第98番)、弦楽五重奏曲1曲[注4]
- 5月12日 交響曲第100番(再演)交響曲1曲(どの曲か不明)
ハイドンの曲が複数含まれるプログラムがほとんど。相変わらず大人気です。交響曲2曲や交響曲と協奏曲よりも、交響曲と弦楽四重奏曲という組合わせが多いですね。
現在私たちは、弦楽四重奏曲が交響曲とともにハイドンの最重要ジャンルであることを知っていますが、ハノーヴァー・スクエア・ルームズのような(当時においては)大きなホールでのコンサートで弦楽四重奏曲が演奏されたというのは、ちょっと意外な感じもします。
ハイドンの曲は、再演されています。初演を聴き逃した人たちが、聴きたがったのでしょう。でも、通常再演は2回で多くても3回。聴衆が、常に新しい音楽を求めていたからです。
3回再演された第100番《軍隊》は、トルコの軍楽隊メヘテルハーネ風にトライアングル、シンバル、大太鼓を使っていて、人気が高かったことがわかります(ベートーヴェンも《第九》第4楽章で使っていましたね。第九の楽しみ方⑤参照)。
それにしても、毎週1回の本番がずっと続いて、演奏者にはかなり大変なスケジュール(gあ)聴衆には贅沢なシリーズです。第9回と第10回の間だけ3週間も空いているのは、この年の復活祭が4月20日だったからでしょう。
第1回コンサートで初演された交響曲第99番は、ハイドンが交響曲で初めてクラリネットを使った曲。ハイドンがロンドンに到着したわずか5日後に演奏されていますが、パート譜はエルスナーが写譜して持って来たのでしょうか。それとも、ロンドンに着いてから写譜して練習して、本番に間に合わせたのかな。
注
- Webster, James. "Haydn, Joseph," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 11: 171-271, 186. 1793年にロンドンに行こうとした証拠がかなりあると書かれています。
- この他に、慈善演奏会も行われました。ハイドン慈善演奏会 5月2日 交響曲100番(再演)、交響曲1曲(どの曲か不明)
- 大宮真琴『ハイドン新版』音楽之友社、1981年、138-139ページ。
- 弦楽五重奏曲と記載されていますが、おそらく弦楽四重奏曲の誤りで、op.71かop.74のうちの1曲が演奏されたのであろうと推測されます。大宮、139ページ。
- Portrait of Haydn by Thomas Hardy (1791).
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