1792年、ロンドン
ハイドンのロンドン2年目のシーズンは、1年目より複雑な状況下で始まりました。
ザロモン演奏会のために作曲の仕事をしています。しかも、最善の努力を払っているのです。というのは、ライヴァルのプロフェッショナル・コンサートが、私の生徒のプレイエルに演奏会の指揮をさせるために、ストラスブルグから当地へ呼び寄せたからです。(マリアンネ・フォン・ゲンツィンガー宛、1792年1月17日付けの手紙)[注1]
イグナツ・プレイエルは1757年生まれのオーストリアの作曲家。1772年頃、パトロンのエルデーディー伯爵の給費を受けて、ハイドンから作曲を学びました。プレイエルの成長を喜んだ伯爵は、ハイドンに馬車と馬2頭を与えたそうです[注2]。
したがって、いまや血腥くも仲睦まじい戦いが、師弟のあいだで始められようとしているわけです。新聞はそのことをしきりに書きたてています。けれども、それもまもなく休戦となるだろう、という気がします。なぜならば、私の評判は当地では非常に根強く確立されているからです。プレイエルは、到着以来、私に対して非常に謙虚な態度をとっています。そのため、もういちど私は彼が好きになりました。(同上、上の部分の続き)
Ignaz Pleyel |
1792年のシーズンは、2月13日のプロフェッショナル・コンサート第1回演奏会でスタート。プレイエルの指揮でハイドン、プレイエル、モーツァルトの交響曲が演奏されました。ハイドンには、シーズン中全ての演奏会の招待券が送られました[注3]。
ハイドンたちのザロモン演奏会は、その4日後の2月17日に始まりました。プロフェッショナル・コンサートに対する返礼としてプレイエルの交響曲で幕をあけています。
プレイエル:交響曲ニ短調 B.147
プレイエルは40曲ほどの交響曲を残しています。1792年には作られていないので、1791年に作曲されたニ短調の交響曲をあげます(編成はフルート1、オーボエ2、ファゴット1、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦)。
《びっくり交響曲》とプレイエル
実際のところ、ハイドンはプレイエルとの対決をどのように捉えていたのでしょうか。ハイドンは謙虚で礼儀正しい人間でしたが、このような状況下で弟子に負けるわけにはいきませんでした。
この年1792年に作曲され、同年3月23日に初演されたハイドンの交響曲第94番《驚愕》について、グリージンガーが以下のように書き記しています[注4]。
私(グリージンガー)はかつて冗談で、居眠りをしているイギリスの聴衆を起こすためにアンダンテ(p の中、突然 ff の全奏になる《驚愕》第2楽章)を作曲したというのは本当かと彼(ハイドン)に尋ねたことがあります。(彼の答えは)「いや......私の意図は、何か新しいもので世間を驚かせ、華麗にデビューして、私の弟子であるプレイエルに地位を奪われないようにすることだった......」
ウィキペディア英語版「Symphony No. 94 (Haydn)」には、この続きがもう少し載っています[注5]。
私の交響曲(第94番《驚愕》)の最初のアレグロ(第1楽章)は、すでに数え切れないほどのブラボーに満たされていたが、太鼓が鳴るアンダンテ(第2楽章)で、熱狂は最高潮に達した。アンコール!アンコール!とすべての喉が鳴り響き(すべての人が叫び)、プレイエル自身が私のアイデアをほめてくれた。
居眠りしている聴衆を起こすため、というわけではなかったのですね。「新しいことで世間を驚かせる」というハイドンの計画は大成功!(当時のアンコールについては、③初めてのロンドンで参照)
プレイエルのその後
イグナツ・プレイエルは1795年にパリで出版社を立ち上げ、自身やハイドンの作品はもちろん、39年間で4000点にも及ぶ楽譜を出版しました。ミニチュア・スコアを最初に出版したことが特筆されます(ミニチュア・スコアの存在、オケ奏者にはすごくありがたいですね)。
また、1807年にはパリでピアノ製造会社を設立。シングル・エスケープメントと軽いタッチを持つプレイエルは、ショパンが愛用したピアノとしても知られています。
注
- 大宮真琴『ハイドン新版』音楽之友社、1981年、132ページ。
- Benton, Rita. "Pleyel (i): (1) Ignace Joseph Pleyel," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 19: 918.
- 大宮、132-133ページ。
- Webster, James. "Haydn, Joseph," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 11: 171-271, 186.
- https://en.wikipedia.org/wiki/Symphony_No._94_(Haydn) Haydn: Two Contemporary Portraits, translated and edited by Georg August Griesinger; Vernon Gotwals; Albert Christoph Dies (Madison, University of Wisconsin Press, 1968), p. 33. ウィキペディア日本語版では触れられていません。大宮の前掲書では、185ページに言及されています。
- 「ハイドンとザロモン交響曲」を改題しました。Portrait of Haydn by Thomas Hardy (1791). Ignaz Pleyel, by unknown author, from 1790 until 1840. https://youtu.be/s64Bs6i-ESU London Mozart Players, Matthias Bamert
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