第34回聖フィル定期演奏会にいらしてくださった皆さま、どうもありがとうございました。聖光学院第52期卒業生、方 大樹さん独奏の《パガニーニの主題による狂詩曲》、素晴らしかったですね。20世紀の作品だけあってオーケストラ・パートもなかなかスリリング。何度もリハーサルに来てくださって、助かりました。
定演後の聖フィル♥コラム恒例、アンコール曲について。今回の方さんによるアンコールは、カプースチンが作曲した変奏曲 op. 41でした。
ニコライ・カプースチン
ニコライ・カプースチン Nikolai Kapustin は1937年(ラフマニノフが《パガニーニの主題による狂詩曲》を作曲した翌年!!)、ウクライナに生まれた作曲家・ピアニスト。母方の祖父は軍楽隊の音楽家でしたが、両親は職業音楽家ではありませんでした[注1]。
6歳でカプースチンは、母と姉フィラに五線譜の音符の読み方を教えてもらいながら、自力で読譜を習得。クレメンティの《6つのソナチネ》作品36を独学で弾けるように。
また、1940年代後半に作曲を始めましたが、完全に独学。作品を構成するために教科書でソナタ形式を読み、自分で作曲法を発展させていったそうです。
1952年、14歳でモスクワ音楽院付属音楽学校を受験。カプースチンは、ピアノ科の合格者名簿に自分の名前が無かったため、大きなショックを受けます。実は、カプースチンが1950年に作曲し、彼のピアノの先生が持参したソナタに、試験委員会が強い感銘を受けたためでした。
なんと、本人の意思と関係なく、作曲理論科の学生として合格させていたのです。学校側への働きかけにより、ピアノ科に移ることが認められ、彼は正式にピアノを学びました。
一方、作曲は完全な独学で、ベートーヴェン、バッハ、プロコフィエフ、バルトークらの楽譜を研究し、実際にピアノで弾きながら構造や作曲技法を解き明かしていったそうです。
ジャズとの出会い
カプースチンは、夜遅くに密かに「Voice of America」の放送を聴いていました。ウィリス・コノヴァー Willis Conoverの「Jazz Hour」を通じて、鉄のカーテンの向こう側でルイ・アームストロング、グレン・ミラー、ベニー・グッドマンなどの音楽を知ったのです。
当時ソ連では、ジャズの楽譜の入手が厳しく制限され、イデオロギー的にも抑圧されていました。カプースチンは友人と、磁気テープレコーダーを使ってラジオ放送を録音し、複雑な即興演奏を採譜。和声やリズムの構造を研究しました。
またこの頃、カナダのジャズ・ピアニスト、オスカー・ピーターソンのヴィルトゥオーゾ的な演奏に出会います。
1956年、モスクワ音楽院に入学。翌年、グレン・グールドがモスクワで行った歴史的なレクチャー・リサイタルを聴いて、十二音音楽に強い関心を持つようになります。音楽院が無調音楽の作曲を厳しく禁じていたにもかかわらず、シェーンベルクら新ウィーン楽派の作品を演奏したり、研究したりしました(変奏曲については、次回②で書きます)。
注
- カプースチンに関しては、イギリスの音楽事典 Grove Music Online にもあまり詳しく出ていませんでした。今回のコラムは、主に Wikipedia 英語版に基づきます。この英語版の記述の多くは、Tyulkova, Yana, Conversations with Nikolai Kapustin. Mainz: Schott 2019; ISBN 978-3-95983-590-9 を注としてあげています。
- Photograph of Ukrainian composer Nikolai Kapustin, 1937-2020. Taken in 2014, by Peter Andersen.

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