残暑の中、聖光学院管弦楽団第32回定期演奏会においでくださった皆さま、どうもありがとうございました。シベリウスの《フィンランディア》、エルガーの《エニグマ変奏曲》、そしてブラームスの交響曲第4番という、19世紀末に作られた名曲のラインナップ、楽しんでいただけたことと思います。
聖フィル♥コラム・リニューアル第100回の記念すべきコラムは、演奏会後恒例のアンコール・シリーズ。今回のアンコールは、エルガーの《愛の挨拶》オーケストラ版でした。
エルガーの評価
イギリスの音楽辞典The New Grove Dictionary of Music and Musicians, revised edition(2001)は、エドワード・エルガーを絶賛しています。イギリスの作曲家。豊かな発想⼒、壮大なビジョン、そして⼒強く独特な⾳楽性によって、彼はヨーロッパのロマン派⾳楽の巨匠の中でも⾼い評価を受け、当時のイギリス⾳楽の頂点に君臨した。故郷の⽂化と⾵景からインスピレーションを得、大陸の同僚たちの研究から機知に富んだ才能を発揮し、オペラを除くすべての主要な⾳楽形式に貢献した。交響曲の重要な作品群、イギリス⼈による最⾼のオラトリオ、そして国民的共感を呼ぶポピュラーな⾳楽スタイルを生み出した[注1]。
自国の作曲家(イギリス生まれの作曲家って、実はとても少ないんですよね)だからと、少し褒め過ぎでは?と思わないでもないのですが……。
《愛の挨拶》作曲の背景
《愛の挨拶》作品12は、エルガーが1888年7月に作曲しました。様々なアレンジがありますが、元はヴァイオリンとピアノのための作品です。
ピアノの教え子で、陸軍少佐の娘(エルガーより上の階級に属するということ)キャロライン・アリス・ロバートと1889年に結婚する際に、彼女への婚約プレゼントとして捧げました(とてもロマンティックな音楽なので、婚約のプレゼントにピッタリですね)。
彼女はドイツ語が堪能だったので、エルガーは《Liebesgruss 愛の挨拶》 というドイツ語のタイトルを付けています。
《愛の挨拶》出版の背景
この作品は1年後、ドイツの出版社ショット社(Schott & Co.)によって出版されました。ショット社はマインツ、ロンドン、パリ、ブリュッセルに支社を構えていました(図1参照。楽譜の下部に、それらが印刷されていますね)。最初に出版されたのは、ヴァイオリンとピアノ、ピアノ独奏、チェロとピアノ、そして小編成オーケストラのための4種類の版でした。
《愛の挨拶》人気のきっかけ
当初はあまり売れなかった《愛の挨拶》。ショット社は方針転換し、ドイツ語のタイトル《Liebesgruss》を、同じ「愛の挨拶」を意味するフランス語の 《Salut d’Amour》に変更。副題として「Liebesgruss」を添えると、売れ行きが伸び始めました[注2]。エルガー自身、フランス語のタイトルの方が、フランス以外のヨーロッパの国でも良く売れることを認めたそうです[注3]。
現在では、エルガーの作品中《威風堂々》第1番とともに最もポピュラーで頻繁に演奏される《愛の挨拶》。しかし、まだ彼の名前が知られていなかった時期の出版であり、ショット社の買取価格は、わずか数ギニーでした[注4]。後にショット社は、エルガーにかなりの印税を払っています。図1:エルガーの《愛の挨拶》カバー、1899、ショット社
注
- McVeagh, Diana. "Elgar, Sir Edward" in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 8: 114-137, 114.
- Anonymous, "Salut d’Amour" in Wikipedia in English.
- Kennedy, Michael, Portrait of Elgar, 3rd ed. (Oxford and New York: Oxford University Press, 1987), 46.
- McVeagh, Diana. "Elgar, Sir Edward," 116.
- Edward Elgar, ca. 1903, by Charles Fredrick Grindrod. Cover of sheet music for Salut d'Amour by E. Elgar published by Schott & Co in 1899. 赤いバラが付いたタイトルページのデータも「カバー」ですが、両者がどのような関係かは不明です。
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