フェリックス・メンデルスゾーン(ヤコブ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ Jacob Ludwig Felix Mendelssohn Barholdy)は、西洋音楽史においてある意味例外的な存在です。彼のように生まれたときから亡くなるまでずっと金持ちだった作曲家は、ほとんどいません。
しかも、教養豊かな家庭に生まれ、最高の教育を受けて育ちました。
メンデルスゾーンの家系
父方の祖父モーゼス・メンデルスゾーン(1729〜1786)はユダヤ人で、ドイツ啓蒙主義の代表的な哲学者でした。彼の6人の子どものうちのひとりアブラハム(1776〜1835)が、フェリックスの父です。アブラハムは1804年に、兄ヨーゼフ(1770〜1848)と一緒に銀行 J. & A. Mendelssohn を設立[注1]。銀行に勤めていたのではなく銀行を所有していたのですから、正真正銘のお金持ち! この銀行は、1938年にナチスに精算されるまで存続したそうです。
翌年ハンブルク支店が開設され、アブラハムとレアは同地に赴任。そこで彼らの4人の子どものうち3人が生まれています。姉ファニーが1805年、フェリックスが1809年、そして妹レベッカが1811年に誕生。1811年7月までに一家はベルリンに移り、弟パウルは1812年にベルリンで⽣まれました。
改宗と姓
1816年3月21日に、子どもたちはプロテスタントの洗礼を受けました。両親のレアとアブラハムが改宗したのは、1822年になってからです。
同時に彼らは姓を、バルトルディにしました。レアの兄ヤコブ・ザロモンがキリスト教に改宗したとき、家族の酪農場 family dairy farmの名前であるバルトルディを姓として採用した前例があったからです(「メンデルスゾーン」は誰にでもユダヤ系とわかる名字でしたが、「バルトルディ」はコスモポリタンな名字でした)。
フェリックスは、メンデルスゾーン・バルトルディの二重姓を名乗ります。
初期の教育
ファニーとフェリックスの音楽教育は、母のレアによって始められました。1816年と1817年に家族でパリに行ったとき、子どもたちは、ハイドンやベートーヴェンが称賛したテクニックを持つマリー・ビゴー(1786〜1820)からピアノのレッスンを受けています。
9歳になったフェリックスは、クレメンティの弟⼦ルートヴィヒ・ベルガー(1777〜1839)にピアノを習い始ました。また、1819年6月頃からファニーとともに、ベルリン・ジングアカデミー合唱団指揮者のカール・フリードリヒ・ツェルター(1758〜1832)に、音楽理論を学び始めます。
ツェルターのレッスンは、バッハの弟子ヨハン・フィリップ・キルンベルガー(1721〜1783)が師の教育法を広めるために書いた理論書『純正作曲の技法 Die Kunst des reinen Satzes in der Musik』に沿うものでした。彼らは通奏低音、コラール、展開可能対位法、カノン、2声フーガ、3声フーガなどを学んでいます。
もちろん、音楽だけではありません。アブラハムは子どもたちのために一般教養の家庭教師も雇っていました。1821年の初めフェリックスは、カエサルやオウィディウスを読み、歴史、地理、算数、フランス語を学んでいたそうです。
フェリックスが11歳!で作曲した《ピアノと弦楽器のためのレチタティーヴォ》の自筆譜を上げます。端正ですね。
メンデルスゾーンの自筆譜(1820年3月7日)、ベルリン州立図書館 |
- 今回のコラムは、以下を参照しました。Todd, R. Larry. "Mendelssohn, Felix," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 16: 389-424.
- Ölporträt Felix Mendelssohn Bartholdys, gemalt 1846 von Eduard Magnus. Autograph MS of Mendelssohn's ‘Recitativo’, for piano and strings, 7 March 1820 (D-Bsb Mendelssohn Nachlass 1)Deutsche Staatsbibliothek, Berlin.
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