聖フィル第28回定期演奏会にいらしてくださった皆さま、どうもありがとうございます。とても珍しいスッペの《スペードの女王》序曲と、わりと珍しいベト8に、超スタンダードのブラ1というプログラム、いかがでしたでしょうか。
定期演奏会後の聖フィル♥コラム恒例、アンコールシリーズ。今回のアンコールは、ヨハン・シュトラウス2世の楽しい《トリッチ・トラッチ・ポルカ》でした。
というわけで(?!?)突然ですが、ここでポルカ・クイズです。
Q1. ポルカはポーランドの舞曲である。イエスかノーか?
答えはノー。ポルカはボヘミア(現在のチェコ)の民俗舞曲。2/4拍子で、男女ペアで輪になって踊ります。19世紀、最も流行した社交ダンスのひとつとなりました。
以下の3つのチェコ語が、ポルカの語源として議論されています[注1]。
- půl「半分」→「ハーフ・ステップ」が主体であるダンス
- pole「野原」→「フィールド・ダンス」
- polka「ポーランドの女性」→ポーランド発祥のダンス、あるいはポーランドに触発されたダンス
ボヘミア生まれのスメタナは、自作に多くのポルカを使っています。《わが祖国》第2曲〈ヴルタヴァ(モルダウ)〉の中で農民たちが踊っているのも、ポルカですね。
Q2. ポルカは古くからチェコ各地で踊られていた。イエスかノーか?
答えはノー。ポルカがプラハに紹介されたのは、1837年だそうです[注2]。ポーランドの民俗舞曲ポロネーズやマズルカが16世紀から続くことを考えると、それほど古いダンスではないようです。
でも、その後急速に世界に広がります。
2年後の1839年にボヘミア連隊の楽団がポルカをウィーンに持ち込み、その年にはサンクトペテルブルクにも伝わりました。
翌1840年にはプラハの舞踏家ヤン・ラーブがパリに紹介し、1843、44年頃にはパリの社交界で好んで踊られるようになりました。
1944年11月にロンドン、翌月にアメリカ、1845年にはカルカッタでも。
ポルカは異常な人気を博し、洋服、帽子、通り、プリンにまでポルカにちなんだ名前が付けられたそうです。
8種類のポルカ:‘Jullien’s Original Polka Quadrilles’からのリトグラフ (London: Jullien & Co., c1845) |
Q3. ポルカはテンポが速い踊りである。イエスかノーか?
これも答えはノー。《トリッチ・トラッチ・ポルカ》のように速いポルカもありますが、同じリヒャルト・シュトラウス2世が作曲した《アンネン・ポルカ》のように、テンポが遅いポルカもあります。
チェコ語はヨーロッパの言語としては珍しく、全ての単語で第1音節にアクセントが置かれるそうです[注3]。
強いダウン・ビート、弱起無し、2/4拍子のポルカのリズムは、このチェコ語の特徴に完全に一致しているというところ、興味深いですね。
注
- Lamb, Andre and John Tyrrell. "Polka" in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 20: 34-36. 34.
- 同上。以下、他の地域の情報も含む。
- 前掲書、35。
- Photograph of Johann Strauss II by Fritz Luckhardt, 1899. https://youtu.be/QRF4DruNVwM?si=c3aXXIo5GrxUhLN3 Daniel Barenboim, Vienna Philharmonic Orchestra, 12, 5, 2017. https://youtu.be/bI0UMwe0sys?si=K6kr0mSv57qXpc17 Zubin Mehta, Vienna Philharmonic Orchestra, 1998. ポルカ・クイズより改題
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