古典への回帰とか、規模が小さいとか、革新的ではないと言われがちなベト8。前回も書いたように、それは誤りです。
ベト8はベートーヴェンにとって、ある意味交響曲というジャンルにおける結論であったと考えられるのです。
ベートーヴェンの交響曲創作史
ベートーヴェンは30歳前から常に何かしらの交響曲を作ったり初演に向けて改訂したりしてきました[注1]。
第1番 1799年から1800年にかけて作曲し、1800年4月に初演
第2番 1801年から1802年にかけて作曲し、1803年4月に初演
第3番 1803年に作曲し、1807年3月に初演
第4番 1806年に作曲し、1803年4月に初演
第5番 1807年から1808年にかけて作曲し、1808年12月に初演
第6番 1808に作曲し、1808年12月に初演
第7番 1811年から1812年にかけて作曲し、1813年12月に初演
第8番 1812年に作曲し、1814年2月に初演
第9番 1822年から1824年にかけて作曲し、1824年5月に初演
5番と6番を1808年12月に初演した後、7番にとりかかるまで2年間の空白がある以外、1799年から1812年までに続けざまに8曲の交響曲を完成させていることがわかります。
ところが、8番を1812年に完成した後、1822年まで約9年の大きな空白が!!!
空白の意味
私達はベートーヴェンが全部で9曲の交響曲を作ったことを知っています。
また、9曲目の《第九》がそれ以前の次元を超えた交響曲、声楽を導入した交響曲であることも知っています。
でも、その前に9年もの間、交響曲から離れていたことを考えると、ベートーヴェンにとって第8番交響曲は一区切りとなる作品だったはずです。
3番から6番まで楽曲構成の基本として用いた主題動機労作の欠点に気づいたベートーヴェン。6番と7番の間の2年間の空白は、それを打開する作曲法を確立するための時間と考えられます。
そして、その新しい作曲法を7番と8番で試してみたら、うまく機能した!!!
だからこそ、その後約9年間も交響曲に取り組まなかったのでしょう。
演奏機会があまり多くないベト8ですが、ベートーヴェンはこの時点では、彼の交響曲創作の区切りの曲、ひとつの「結論」と考えていたと言えるのです。
注
- 平野昭「ベートーヴェンの交響曲」『ベートーヴェン事典』東京書籍、1999、26ページ。
- Portrait by Joseph Kar l Stieler, 1820.
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