1795年にサロモンは、ザロモン・コンサートを中止しました。フランス革命に起因するヨーロッパ諸国間の紛争のため、海外から一流の声楽家を雇うことが難しくなったからです[注1]。ライバル団体のプロフェッショナル・コンサートは既に解散していました。
代わりにザロモンは、当時イギリスにいた演奏家たちを集めて「オペラ・コンサート」を開催すると発表。この名前は、会場がハノーヴァー・スクエア・ルームズからオペラ座に変わったからで、オペラの上演とは関係ありません。
ザロモンの「オペラ・コンサート」
予告された声楽家は7人。ヴァイオリニストで作曲家のジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティが指揮し、プロフェッショナル・コンサートで指揮をしていたヴィルヘルム・クラーマーがコンサートマスターに。ザロモンも、ヴィオッティらとともに独奏者を務めました。
2月2日から5月18日までの間に9回のコンサートが開かれ、ハイドンは3曲の新しい交響曲(第102、103、104番)を披露しました。また、5月2日には例年同様にハイドン自身の慈善演奏会が行われ、交響曲第100番《軍隊》や104番が再演されています。
オーケストラは総勢60名!!
ランドンによれば、オペラ・コンサートのオーケストラは総勢60名。
第1・第2ヴァイオリン各12、ヴィオラ6、チェロ4、コントラバス5で弦楽器計39名。フルート4、オーボエ4、クラリネット4、ファゴット4、ホルン2、トランペット2、ティンパニ1で管打楽器計21名[注2]。
木管楽器は倍管ですね。第1次ザロモン・コンサート時(1781〜2年)には含まれていなかったクラリネット奏者も4人!!
ハイドンが1795年のシーズン後にイギリスに留まることを本気で考えたのかどうかは、わかりません。1794年にアントン公が亡くなり、エステルハージ家への名目上の義務からも解放されました。イギリス王室は、ロンドンに留まるようハイドンを説得しようと試みました[注3]。
しかし、アントンの後継者であるニコラウス2世が、エステルハージ家の楽長への再任を申し出たため、ハイドンは8月15日にロンドンを発ち、ハンブルク、ドレスデンを経由しておそらく9月の初めころにはウィーンに戻りました。
ハイドンが得たもの
グリージンガーは、ハイドンが2度のイギリス訪問で24,000グルデンを得たと書いています。滞在費などを差し引いても、13,000グルデンの純益!! これは、エステルハージ家で仕えたときの20年分以上に相当します[注4]。
豊かな収入だけではありません。大きな栄誉も得ました。グリージンガーの記述によると:
ハイドンは、イギリスで過ごした日々が、生涯における最も幸福な時期だったと考えた。イギリスでは、彼はいたるところで歓迎された。イギリスは、彼に新しい世界をひらいた。(中略)しかも豊かな利益を伴って。なぜかといえば、1790年に彼が首都ウィーンにやってきたときには、わずか2000グルデンほどしか持っていなかったからである[注5]。
私たちが得たもの
そして私たちは、ザロモン交響曲あるいはロンドン交響曲と呼ばれる、ハイドンの最後の12曲の交響曲を得ました。
それだけではありません。ザロモンがハイドンの交響曲を演奏会の売り物にして、第2部の最初に据えたことで、交響曲は「開幕ベル代わり」から、音楽会に行く目的(=交響曲を聴くために音楽会へ行く)へと昇格したのです。ザロモン・コンサートは、交響曲の歴史における重要な転換点のひとつになりました[注6]。
注
- 大宮真琴『ハイドン新版』音楽之友社、1981年、139ページ。翌1796年に再開。
- 前掲書、140ページ。
- Webster, James. "Haydn, Joseph," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 11: 171-271, 186.
- ハイドンが副楽長としてエステルハージ家に勤め始めたときの年俸は、400グルデンでした。その後、何度か昇給しています。現物支給を含むエステルハージ家の給与体系は、長岡英『オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識』アルテスパブリッシング、2014年、144-148ページ「エステルハージ宮廷楽士の給料」を参照のこと。
- Webster, 同上。大宮は前掲書142ページで、20,000グルデンを得て、うち9,000グルデンが旅行や滞在費用であったと書いていますが、新しい資料を使いました。
- ザロモン・コンサートの重要性や、交響曲が昇格した理由については、長岡、前掲書、28-31ページ「独り立ちする交響曲」を参照のこと。
- Portrait of Haydn by Thomas Hardy (1791).
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