リストと言えば、ピアノのヴィルトゥオーゾ(ヴィルトゥオーソとも)。
ヴィルトゥオーゾは「名人芸を持つ演奏家」
リストのヴィルトゥオーゾ活動期は1839年から1847年にかけて。それは、演奏史において比類のないもので、今日でもピアニストのお手本となっています。
リストが初めて行って、それが現在当たり前になっていることがたくさんあるのです[注1]。
リストが初めてやったこと:
- プログラム全体を暗譜で演奏した
- バッハからショパン(=リストの同時代人)までの鍵盤楽器のレパートリーをすべて演奏した
- ピアノを舞台に平行に、開いた蓋が客席に音を反射するように置いた
- ヨーロッパ中(ピレネー山脈からウラル山脈まで)をツアーした
- リサイタルという言葉を使った
コンサートとリサイタル
複数の演奏者による演奏会はコンサートと呼ばれます。「オーケストラ・コンサート」「ガラ・コンサート」などがありますね。
一方、ひとり(と伴奏者)による演奏会は、コンサートではなくリサイタルと呼ばれます。「ピアノ・リサイタル」や「ソプラノ・リサイタル」などですね。
19世紀になってからも演奏会のプログラムは、交響曲やアリア、即興演奏などさまざまなジャンルがミックスされるのが普通でした。当然、多くの演奏者が必要です。
でもリストは、他の芸術家の助力を得ることなくひとりで演奏会を開催しました。
1840年6月9日、ロンドンのハノーヴァー・スクエア・ルームズで行われた演奏会で、初めて「リサイタル」という言葉を導入。自分のキャリアにおける新しい方向性を宣言することになります。
ちなみにこのハノーヴァー・スクエア・ルームズは、1791年〜95年にハイドンが渡英した際、《時計》を含む「ザロモン交響曲(ロンドン交響曲とも)の多くが初演された演奏会場です。
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ハノーヴァー・スクエア・ルームズでのコンサート(1841) |
8年間に1000回!
話をリストに戻して。彼がこの1839年から1847年までの8年間に出演した演奏会の数は1000回に及びます[注2]
1年間に平均125回。つまり、3日に1度以上の割合で出演していたことになります。19世紀ヨーロッパって、驚くほど音楽会が盛んだったのですね。
1841年、ベルリンのジングアカデミーで行われた一連のコンサートは、そのクライマックスとも言えるものでした[注3]。メンデルスゾーン、マイヤベーア、スポンティーニのほか、プロイセン王室全員が出席。
滞在後、リストは白馬が引く馬車に乗ってブランデンブルク門に向かい、ウンター・デン・リンデンに群衆が列をなして別れを惜しんだそうです。
リストマニア
ステージ上で演奏するリストが描かれた有名なイラストも、このジングアカデミーでの演奏会のひとコマ。
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Hosemann: コンサートホールでの熱狂(1842) |
中央右寄り、失神した?女性を男性が介抱していますね。熱狂する女性ファンたちは、リストの髪の切り抜き、葉巻の吸い殻、彼のコーヒーカップの残りかすなどを土産にしたそうです。のちに詩人ハインリヒ・ハイネはこの現象を「リストマニア」と呼んでいます。
ちなみにリストは、ベルリンでの10週間の滞在中、21回の演奏会を開催。80の作品を演奏。そのうち50は暗譜によるものだったそうです[注4]。10週間でレパートリー80作品とは、さすがですね。
注
- Walker, Alan. "Liszt, Franz," in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 14: 755-877. 763.
- 西原稔『ピアノの誕生・増補版』青土社、2018。253ページ。
- Walker, op. cit. 764.
- 同上
- Portrait of Liszt by Henri Lehmann (1839). Theodor Hosemann 1842: Tumultartige Begeisterung „[i]m Concertsaale“ der Berliner Singakademie. Engraving from The Illustrated London News showing a concert in Hanover Square Rooms on Hanover Square.
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