皆さんはラフマニノフのピアノ協奏曲をいくつ知っていますか。
ピアノ協奏曲第2番
ラフマニノフのピアノ協奏曲と言えば、分厚い和音のピアノ・ソロで始まる第2番ハ短調作品18が最も有名ですね。
1900年から翌年にかけて作曲され、1901年11月9日にモスクワ・フィルハーモニー協会の演奏会で全曲初演されました(ラフマニノフ本人のソロ、従兄のピアニスト、アレクサンドル・ジロティ指揮[注1])。
この曲は驚異的な成功を収め、ラフマニノフは大絶賛を浴びます。1908年にロンドン、1909年にはアメリカ(フィラデルフィア)でも初演されました。以来、聴衆に(もピアニストにも)最も人気がある協奏曲のひとつになっています。
ピアノ協奏曲第3番
そして、今回福間さんが聖フィルと共演してくださる、ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30。難曲として知られるこのピアノ協奏曲を、ラフマニノフは1909年夏にイヴァノフカの別荘で作曲し、9月23日に完成しています。
同年11月にニューヨークで、やはり本人のソロで初演(この曲については改めて書きます)。
ピアノ協奏曲第1番
第2番から書き始めてしまいましたが、もちろんピアノ協奏曲第1番もあります。嬰ヘ短調作品1、つまり、一番最初に出版されたラフマニノフの作品です。モスクワ音楽院在学中、1890年から翌年にかけて作られました。
実はこの曲、ピアノ協奏曲への2度目の挑戦です。1889年にハ短調の協奏曲を手掛けたのですが、途中で断念。この調は、第2番に受け継がれることになります。
作曲科の学生として、特定のモデルに基づいて新しい形式に取り組むように指示され、グリーグのピアノ協奏曲をモデルにしたそうです[注2]。1900年12月2日に本人のソロ、ジロティ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団により、全曲初演されました。
ジロティ(左)とラフマニノフ(右) |
しかし、第2番と第3番のピアノ協奏曲を完成した後の1917年、ラフマニノフはこの第1番を改訂。彼は以下のように語っています[注3]。
第1番協奏曲を書き直した。若々しさはそのままで、もっと簡単に演奏できる。でも、誰も注目してくれない。アメリカで私が協奏曲第1番を演奏すると言うと、抗議はしないが、彼らの顔を見れば、第2番か第3番を好むのがわかる。
パガニーニの主題による狂詩曲
協奏曲ではありませんが、パガニーニの主題による狂詩曲イ短調作品43もピアノとオーケストラのための作品です。1934年の夏に、スイスで作曲されました。
パガニーニの無伴奏ヴァイオリンのためのカプリース第24番《主題と変奏》の主題と、その24の変奏から成ります。
同年11月7日ボルチモアで、本人のソロ、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により初演されました。アンダンテ・カンタービレの第18変奏が有名。
ということで、ラフマニノフのピアノ協奏曲はこの3曲(と狂詩曲)?
ピアノ協奏曲第4番
いえいえもう1曲、ピアノ協奏曲第4番ト短調作品40があるのですね。1914年という早い時期に、レパートリーにピアノ協奏曲をもう1曲加えたいと考えていたそうですが、1926年にニューヨークで作曲に取り組み、夏にドレスデンで完成させました。
初演前に曲が長すぎることに気づき、
(ヴァーグナーの)《指輪》のように、2晩続けて演奏しなければならない。とジョークを言ったそうです[注4]。カットを加えましたが、1927年3月18日フィラデルフィアで行われた初演は酷評されました(第1版)。
そのため、さらなるカットなど変更を加えて、1928年に出版(第2版)。でも、この版も成功に至らず、彼は一時この曲を演奏曲目から外しています。1941年に再改訂し、再出版しました(第3版)。現在一般的に演奏されるのは、この第3版です。
というわけで、ラフマニノフのピアノ協奏曲は全部で4曲!プラス狂詩曲です。
注
- ジロティの母方の祖父がラフマニノフの父方の祖父です。
- Neils, Eiger, Notes for ONDINE 977, 7.
- Swan, A.K. and J., "Rachmaninoff: Personal Reminiscences," The Musical quarterly, Vol. 30 (1944), 8.
- Norris, Geoffrey. "Rachmaninoff, Serge" in The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2d ed., ed. S. Sadie and J. Tyrell (London: Macmillan, 2001), 20: 707-718, 711.
- Rachmaninoff in 1921, Kubey-Rembrandt Studios (Philadephia, Pennsylvania). "SILOTI AND HIS PUPIL, RACHMANINOFF". Photoportrait of Alexander Siloti (left) and Sergi Rachmaninoff, from page 299 of the May 1922 issue of "The Etude" Magazine. Photo probably origianally some years earlier. Photographer not credited. https://youtu.be/AOj_xBXvdZA?si=dOA6qB-JEgRlOXR5 Piano: Serge Rachmaninoff, Eugene Ormandy & The Philadelphia Orchestra, Dec. 20, 1941.
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